ひととそしき

3名の高校生を採用させていただいた。
みんな、キラッ!キラ!☆してた。

面接を終えて、せっかくだからとパレス松洲の「裏側」を見たいか尋ねれば、みんなが一斉に、そして遠慮がちに手を挙げてくれた。ますますそのキラキラさが輝いた。採用可否という不安よりも、社会へ対して、ひいては彼ら自身が挑んだ企業への知的好奇心が溢れてた。


小生こう見えて、学習塾の講師経験がある。
生徒たちが「学ぶこと」を学び、学校でも家庭でもない新たなコミュニティに自らが存在する楽しさを知ったときに、生徒たちが見せたキラキラさと全く同じものだった。
成績が伸び始めた時に見せる自信ではない。
そのずっーーっと前のステップで見せる輝きだ。希望に溢れる、その喜びだ。

面接の数日前、豆のデスクにA4のカミが降ってきた。
まさにカミがつくる「面接官のお作法」である。他人さまを測るならこれに従いなさいと言わんばかりだ。
破ることもせず、すぐ捨てた。

小生に見せてほしいのは、みんなの「ヒューマン・スキル」だ。
もちろん公平に挑んでもらうために、2、3ぐらいは同じことを質問する。
問題なのは20分程度の時間的制約のなかで、面接する側はいかに質問を展開させ、いろんな切り口から繰り出す質問に多くの答えや話を引き出せるかが重要であると思う。一貫的な答えの中に人物像が浮かび上がってくる。
できるだけ多くを話してもらう空気をつくりだすと、その人それぞれのいろんな側面を教えてもらえる。トピックは何でもよいのだ。


最後、面接にきてくれたみんなに、今日を想定して準備してきたことと、それが終わった感想を聞いてみた。
「(聞かれることを想定して)練習してきたことと違っていたけど、よく話せました」と一様に答えてくれた。
まずは力を出し切ってもらうことが、こちらの仕事である。実現できて小生も非常にうれしかった。

そして、面接を終え審査するのに大事なのは、手前勝手に面接官の枠にハメないことだ。ヒトはどうしても自分を基準にしたがる。その上、漠然でアヤフヤな基準での面接するから訳がわからなくなる。複数の面接官が個々のフィーリングだけで採用可否を言い合う、でモメるのだ。


面接の場面だけではない、往々にしてヒトは自分と反対側の人間を非難したがる。

その時点で個々の人間関係も、企業の人材戦略もマイナスだ。

体育会系なだけで共感する面接官は、 文化会系を「内向的」に見ようとする。
神経質な面接官は、おおらかな性格を「ガサツな奴」で括ろうとする。
知性なき面接官は、知能と知識を混同しては「理屈っぽい」とひがむ。
それで採用されなくても、結果的に「金の卵」は幸せであると思うし、企業はみすみすチャンスを逃すのだ。

小生、知性は欠落しているが、行動力と感受性には自信がある(親友談:豆次郎の行動は、多動性的行動障害である)。
すると、答えはかんたんだ。
聡明な知性を補ってくれる人材が増えてくれればいいと思うし、面接で充分に発揮してくれた知性に対して、それを生かす行動力と感受性が少し足らないとなれば、そこは豆が教えてあげればよい。
年長者が、それぞれの若い個性を理解し、いいタイミングで、いい動機づけをしヒカルものを見つけてあげればよい。
宿泊業も個性化、多様化の時代の一途を進む中、従事するスタッフの個性が非常に重要だと思う。 そして組織を束ねる経営者は【経営コンセプト】を実現するための座標軸に、足らない部分がどこなのか見定めつつ、個々が調和されていくための風土づくりに尽力する。

 

きょうのブログが、デスマス調ぢゃないのは、豆自身に言い聞かせてるからです。


なんでもかんでも最後の最後は情熱だっ!

サイト管理:豆次郎

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