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松島の景観

松島の風景1 「松島」は宮城県松島湾に浮かぶ大小260余りの島の総称です。松島 丘陵が沈降し、小高い部分だけが島として残ったことが、現在の景観をかたちづくりました。さまざまな形をした灰白色の島々が緑の松を頂き、青い海に数多く 浮かぶ風景は、四季折々に美しく、名勝として古来より知られています。

日本三景のひとつとして数えられるようになったのは、江戸初期の儒学者で林羅山の三男・林春斎(1618〜1680)が著した『日本国事跡考』に「日本三 処奇観」のひとつとして記載されたのがはじまりといわれています。 もちろん松島は、春斎以前からみちのくの景勝地として知られていました。近接する多賀城市には神亀元年(724年)に陸奥国府が置かれ、派遣された都びと はこの地の美しさを土産話として都に持ち帰ります。万葉の昔より、ひとびとはみちのくの地にあこがれ、多くの歌に詠ってきました。

松島の風景2 能因法師(988〜1058?)はその歌学書「能因歌枕」で、『松島』『雄島』『まがきの島』など、この地にちなんだ歌枕を挙げています。百人一首のなかには、この地を詠んだ歌が3首も選ばれています。 この地にゆかりの著名な文人は源融(822〜895)、藤原実方(?〜998)西行法師(1118〜1190)をはじめとして枚挙にいとまがあ りません。 松島を題材に、数多くの和歌・俳諧が詠まれてきました。

松島を訪れ、文章に残した最も有名な文人のひとりが、松尾芭蕉(1644〜1694)です。芭蕉は『おくのほそ道』の冒頭、旅立ちにあたって、 「松島の月 先心にかヽりて」(松島の名月が何よりも気にかかって)と記しています。 松島の風景3 芭蕉は『おくのほそ道』の中で、「松島は扶桑第一の好風にして、凡洞 庭・西湖を恥ず」(松島は日本一風景のよいところで、中国の名勝地と比べても恥じるところがない)と表現し、その美しさを絶賛しました。 松島の風景の美しさ、雄島の磯の風情に、芭蕉は感動のあまり一句も詠むことができず、興奮して寝付けなかったと書き残しています。このため『おくのほそ 道』には、代わりに同行した弟子の曽良の句が収められることになりました。

歴史を通じて、その美しさが日本人に愛でられ、慈しまれてきた松島。その風景を特等席でご覧になりながら、いにしえに想いをはせるのも一興かと存じます。

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